情報歴史社会学

現在、世界のあらゆる国や社会において、我々人類は格差という問題を抱えている。この格差とは、たとえば経済的な格差であり、資本主義が大きく拡大している現代においては、おそらく必然的に生まれてきたものであろう。それは、資本主義というものが、労働者階級から労働力を商品として買い、それを利用して生産した余剰価値を利潤として獲得する経済体制であることに起因していると思われる。この場合、労働者階級を買う立場の者が、利潤を多く手に入れるためには、労働者をできるだけ安くで買えばよい。つまり、労働者に支払う賃金をどれだけ安上がりに済ませられるかが、収益のポイントとなるのである。

産業革命、資本主義の生まれた時代、18世紀に、経済学の父とも呼ばれるアダム・スミスによって初めて唱えられた、この節約へのカギが、「分業」である。彼の主張した分業論とは、ある難解な仕事を一人の人間がこなすためには高次元な技術・能力が必要だが、もしその仕事を簡単な部分部分に細分化していくと、そこまで高度な技術のいらない単純な部分の仕事がたくさん切り取られて、熟練していない素人にも仕事が提供できる。こうすることで、作業時間の大幅な短縮がはかられ、また、このような非熟練工は多数存在し、取り替えが効くため、労賃も安くてすむ。加えて、時間短縮によって余った時間はさらなる研究や発展が望めるということだ。このアイデアは、かなり現実的で効率的なものであるとわたしは考える。これに対して、19世紀に分業論をさらに展開した人物がバベッジである。労働者の能力が全員平等であることを前提としていたアダム・スミスと異なり、バベッジは個々人の能力に差はあるものとし、より高い技術を要する労働者の労働時間は、労働の細分化によって、できるだけ最小限に抑えられれば製造主はより高い利益をあげることができると考えた。このバベッジの原理は能力の「格差」が存在するために成立するもので、能力のある労働者が能力を無駄にしないように効率化をはかり、生産性の向上、人件費の削減を目指した。アダム・スミスが低い技術しかもたない素人にも仕事があてられるように分業論を唱えたのに対して、バベッジは製造過程における下層の労働者を人間ともみなしていないような考え方である。実際、バベッジは最下層の労働者、つまり低賃金で機械的仕事をする労働者を本当に機械で代替できると考えていたことをはっきりと示すのがフランスの大対数表作成プロジェクトである。