中国文学

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史記』と『漢書』(岩波書店)/ 大木康  初版2008.11.18

 

   司馬遷の『史記』は今日でもそれに関する書物がたくさん書きあらわされており、その存在感・人気から、古典の中の古典としての地位を確立した史記がいまだに需要の高いものであることがわかる。それに対して、『漢書』はかなり地味で、影に隠れたようなイメージを持たれている。だがしかし、中国のその長い歴史的には、史記漢書は常に歴代正史の両横綱の位置を占めながら、時には、漢書のほうが評価されていたという時代も存在した。それはもちろんこの二つの書が異なった性質をもつことに起因しているだろう。今回取り上げる大木康・著の本書は史記漢書を比較することによってそれぞれの個性をとらえるのを目的としている。また、それぞれが好まれた時代の様相の把握も明らかにし、両書に中国文化のバロメーターとしての役割を期待する。

 まず正史とはなんだろうか。「史」は史書、より広範に記録を意味する。次に「正」は異端に対しての「正統」という意味である。この正史には、前の王朝の歴史書を編纂することで現王朝の正当性を保証する意味がある。なんらかの権威によって正当と認められれば正当になるという政治的概念である。ちなみに司馬遷も班固も、彼らの書いた書が正当と認められたのは彼らの死後の王朝においてである。そして、正史と定義付けするためには、また別の要素も必要だということができる。それはすなわち、紀伝体の形式で書かれているということである。紀伝体はもちろん史記に始まる形式で、世界の中心皇帝本紀とし、歴史の全体像を表現する。『随処』ただ、本紀では年代ごとに分けて記述するので、その部分は編年体である。以上より、正史とは紀伝体の形式で書かれ、王朝の権威によって認められた歴史書と定義することができる。

 次に史記漢書の違いを見ていきたい。この二つの書には当然性格の違いが存在する。もっとも大きな違いは、史記前漢の半ばに至るまでの中国の通史であり、当時の人々の感覚からすれば全世界通史といってもよいのに対して、漢書前漢王朝一大の断代史であることだ。この違いは、まず本紀の意味内容に大きな差異をもたらす。中国歴代の王朝体制にあっては、皇帝が世界の中心にあった。人の価値も、基本的には皇帝との距離で測られ、官職についていれば、国家に貢献しているとされ、地位が高かった。こうした世界観に基づいているので、歴史についても、皇帝の伝を記していけば、それがすなわち歴史の縦糸になるという考え方が背景にある。漢書では、座標軸としての皇帝の存在が、かっことして書くるつしている様子を見ることができる。裏返して言うなら、皇帝以外の人間は本紀の被伝者になることはできないのである。ところが、史記においては、「秦始皇本紀」いこうでは個人の伝が本紀になっているが、それ以前の部分では王朝によって本紀がたてられているのだ。しかも、史記には二つの王朝が時間的にも重複したり、年代を表す暦が複数存在している部分がある。このことは、一つの王朝、時代について一人の皇帝こそが世界の中心にあるとする考えと大きく異なる。周の末期、群雄割拠の時代、必ずしも秦が常に天下の中心を占めていたわけではない。司馬遷の場合、形式的に皇帝と名乗ったかどうかは、あまり重要な問題と捉えていなかったのである。それで実質的に皇帝の役割を果たした項羽を取り上げたのだ。一方、漢書は、あくまで漢王朝の歴史であるから、当然高祖より始まっているが、こちらでは列伝として彼の最大のライバルである項羽の伝を収めている。班固の史記に対する違和感は、漢の本紀が後回しにされ、しかも漢朝の皇帝の本紀が秦の始皇帝項羽と同格として並んでいる点だ。乱世を統一した光武帝は、班固にとって絶対的存在であり、漢王朝も同様に揺るがない存在だった。ここに司馬遷と班固の大きな違いがある。